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素直屋のウィクリーまんだら

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なでしこ咲く~「自分たちらしさ」を貫く先に

雨上がり未明のサッカー観戦。なでしこの快挙には感動を通りこして畏怖を感じ、そして、敬虔なというか、なんだか手を合わせたくなるような、そんな不思議な気持ちになった。

これまで長年強化を続け、培ってきた実力の積み重ねがあるからこそ、ここまできたのであろう。しかし、一発勝負の大会において、自分たちのスタイルを貫きとおす愚直さには困難を伴う。相手だってこちらの良さを殺そうとしてくるのだし。
足元への速いパス回し。相手の裏をつく俊敏な飛び出し。前線から走り回り追い回すしつこいディフェンス。体格差を跳ね返す低く速いゴール前への球だし。
失敗しても、繰り返し、繰り返し挑み続ける自分たちのプレー。そのことが世界一につながるという信念。そして、自分たちらしさを極め、追い求めていくことで、奇跡的な粘りと強さを生み出していく。
その光景を目の当たりにして、鳥肌がたつ思いをしてる。

ワンバックの延長前半終了間際のヘッドで1-2の負け越し。正直、勝負あったかに思えた。
しかし、勝ち越された側の追い詰められ感、悲壮感は全く感じられず。後半もある。わーい、大好きなサッカーをまだ15分もやってられる、とでもいいたげな。
そんな生き生きとしたなでしこの表情。そして、ファールをしても相手に声をかけ手を貸す。
この激闘にあってなお礼儀も余裕も失われず。
逆に、勝ち越し点を決めた直後のワンバックの肩は大きく上下して、何度も大きく息を吐く。
他の選手もワンプレーごとに眉間にシワを寄せ、大きく息をつく。
点差とは裏腹に、心身ともに本当に苦しい思いをしていたのはどちらだったのか。

延長後半終了間際のセットプレーから、澤が決めた背面ボレー同点の場面。あの土壇場であんな振り切れたプレーができるのも、夢舞台で存分にサッカーを楽しむ喜び所以だったのだろうか。
また、彼女の背中の目には、きっと幾重にもゴールに詰めてくる仲間たちが見えていたに違いない。あの子たちにつなげばきっとどうにかしてくれると。そんな思いの詰まったシュートにも見えた。
決して恵まれた環境では無かったなか、続けてこられた。様々な苦労を乗り越えて、周囲に、チームメイトに、そして自分に支えられた今がある。
だからこそ、思い切る。振り抜く。そんな思いも感じるゴールだった。

PK戦は、時間内の優劣とは無縁に、運であり、どっちに転んでもおかしくはない。
でも、円陣の表情でもう勝負は決していたのかもしれない。日本の笑顔が、相手にプレッシャーを与えたのは間違いない。
アメリカのキッカーは思ったはずだ。日本の彼女たちは、この状況で、なぜ苦しくないのか、と。

アメリカは、世界一の素晴らしいチームだったが、最後まで勝負にこだわり、それに苦しんだ。
日本チームは、自分たちらしさを貫くことにこだわり、それを楽しんだ。
ワールドカップ決勝という世界最高の舞台では、実力以上の何か+αが必要なのかもしれない。
それが自分たちらしさを貫くということであれば、私たちは貴重な民族の記憶をまた得たことになるかもしれない。

ここで勝ったからといって、これから世界のメインストリームになり続けることはきっと困難だろう。
しかし、自分たちらしさを知り、それを貫き表現していけば、世界と互していくことはできる。
その先に生まれるのは、きっと「世界を制する」ことではなく、世界に広がる理解と共感。
なでしこへの賞賛の拍手は、勝利だけに向けられたものではなく。
日本人の個性とそれを表現しきった彼女たちが理解され、共感が世界に広がった。
そのことへの賛辞と思いたい。

たかがスポーツ、されどスポーツ。
プレーする人も、観戦する人々も、ともに、スポーツという世界言語を使って、相互理解と共感が広がる。

素晴らしい1日のはじまりに。そして、新しい時代のはじまりに。

ありがとう。なでしこジャパン。

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by sunaoya708 | 2011-07-18 11:06 | 社会(時事ネタ・地域・友人)