
娘が、進学のために、ひとり旅立って二週間を過ぎた。
ちょっと前まで、時折、現況報告や相談、思わず笑っちゃう「素朴な質問」の電話やメールが、私や母親、ばあちゃんに届いていたが、もうそれもほとんど無くなった。
入学式、オリエンテーション、新歓行事とイベントが続く合間を縫うように、自分で宿舎への入居手続き、家財家電、日用品の買い揃えをこなしつつ、パソコンなどの最後の大物を買い終えて、新生活準備がほぼ完了した旨メールが届いたのは、先週の日曜日。
手続関係も自分でやってたのでどんな書類があったのかも知らない。
新生活の準備も、自分でやってみたいと、必要なものを自分で考え、母親にも相談して、見積りも出してきたので、母親と精査してその分の現金を過不足なく渡しただけ。年度末で夫婦ともに忙しくもあったが、あとは注文もなんやかやも本人に任せっぱなしだった。
感想を聞くと、買い物は、できないということはないが、要領の悪さに疲れるという。
まあ、最初は誰でもそうだろう。生活用具一式揃えるような買い物、一生のうちにそう何度もない。
で、スポンサーに完了報告するのは当たり前といえば当たり前なのだろうが、そういう配慮ができたことは、親として安心でもあり、嬉しくもある。
出発前。連れ合いは、やはり母親として、できれば同行のうえ、多少の手伝いをしたかったようだが、娘は母親の気持ちには謝しつつも、同行については丁重に断りを入れた。
連れ合いは内心後ろ髪惹かれる思いだったろうが、娘の気持ちを酌み、泊付きの仕事も敢えて調整せず、自分のなかの気持ちにさばさばと踏ん切りをつけて、同行も、見送りもしないことにした。
とはいえ、娘と過ごす最後の夜。家族の前ではわりと普段どおりだったが、深夜、娘への手紙をしたためた後、暗闇の寝床の中で、静かに肩が震えていた。
娘から届いた完了メールには、最後の大きい買い物を終えて、やっと自分の住家が整った安堵感、充実感とともに、今の心境に触れられていた。
『お金をかけて、自分は何をするためにここに来たのか、どうすれば叶うのか、考える』とリアルに思い、『あんなに無理だと思ってたのに今は、当たり前のように、ここでチャリを漕いでいる自分がとても不思議』となんとなくしっくりしないのも、正直な気持ちだろう。
そして、こう続いていた。
『でもこの違和感はマイナスのものではなくて
私は自分が頑張れると知っているので
駄目になりそうとかでは全くないです
お世話になっている皆さんに
感謝とがんばりますって伝えてください』
「私は自分が頑張れると知っている。」
そうだね。あなたは確かに知っている。
あなたをずっと見てきた家族もみんなそれを知っている。
そして、あなたの心のうちには、お世話になったみなさんへの感謝とともにそれがある。
娘と話していて感じていること。
たとえ今の時点で、周りの人々より劣る部分があったとしても。
たとえ、これから頑張った結果が自分が望んだとおりのものにならなかったとしても。
自分は自分として。娘は娘として。
未来へ向かって頑張れる自分を信じられる。
だから、なんの不安も不満もない。
劣等感も、逆に、優越感もなく、周囲からの疎外感もない。
ギャップは、ギャップとして、自分の指針、目標としていくだけだ。
家族というもみ合うような関係と日々追われる暮らしのなかで、正しい子育てなんて、私たちにはわかりようもない。
でも、いつも見ようとしてきたのは、目に見える事柄ではなく、娘の中にある目に見えないもの。
結果ではなく過程を、行動ではなく心の移ろいを大切にしてきた。
これだけは、間違っていなかった、と、今、確信を持って言える。
私たちが、娘とふれあい、育んできたもの。
それは、自由に想像する心。感動する心。そして、胸をはって好きだといえるものを持っていること。
辛いことを辛いといい、苦しい時に助けて欲しいと素直に言えること。
認めたくないような自分のいやな部分や臆する心、自分のなかにわきおこる不可解な感情も、ひっくるめて自分として受け止めて、自分で自分を理解しようとしていること。
なにより、そういうまるごとの自分が好きであること。そのことを楽しんでいること。
そういうことを大切に思ってきた。
今思えば、そのことを教えてくれたのは、なんのことはない。他の誰でもなく、当の娘自身から。
そう、私たち自身が娘に教えられてきたのだ。
もしかしたら、私たちは、子育てと言われるようなことは、何もしていないのかもしれない。
自分たちの人生を生きつつも、ただ、彼女が大事にしたいと思うことを、同じように大切に思ってきたにすぎないのだけれども、
それはそれで、良かったのだと心から思う。
自分で自分を好きになる。自分の気持ちに素直な心は、自分を支える背骨になる。
自分で足でしっかり立ち、歩き続けるための背骨となる。
それは、他人や世間と関わりを持っていくときに、よって立つ自分の軸。自分軸となる。
表面はまだまだ未熟でやわらかいけれど、もう大丈夫。しっかりとした背骨が、自分の軸ができている。
今、娘に、改めて、おめでとうと言いたい。
メールを読み終えて。
空港に見送りに行った時も、妻の嗚咽を受けとめた時も、こんなことはなかったのに。
後から後から、こみあげてくるものを押さえきれなくなり、ひとりになって顔を覆って泣いた。
とめでなくあふれてくる感情が、細く、長く。
噛みしめるような小さな声となって、細く、長く、溢れてきた。
以前にあんなに長く泣いたのはいつだったか。
思い出せないくらいに長い長い時間、そうしていた。
あれから一週間。
ひとつの区切りを迎えて、娘との距離はどんどん離れていく。
でも、その分、絆の糸は長くなり、どんどん深まっていくような気がする。
距離は離れていくけれど、深い、深いところで、ちゃんとつながっている。
『桜が散りはじめています。季節も進むんだね』
一週間前のメールはそう結んであった。
確かに、季節は進みゆく。親の思いを遥かに越えてゆく速さで。
かの地でも、もう桜も終わり、散ってしまったことだろう。
これからは新芽の頃。
緑萌える新緑の季節がやってくる。